意思決定において、これから最も重要な「美意識」。
こんにちは、ほりごめ(@hiroyuki_ho)です。
いまビジネスの世界は大変な勢いで変化しています。
昨日まで新しいとされていたものは、すぐに古いものに感じられ、良いとされていたものでさえ通用しなっています。
そんな時代に僕たちはなにを信じて、働けば良いのか。
これまでは空気を読んで、良いとされていたものにしたがって、それを信じて進むことで、安心して働き暮らすことができていた。
しかし、現代のような変化が激しい時代においては、外ではなく自分の内に軸を持ちたい。確固たる軸がない人にとっては、あまりにも激しすぎる荒波がきている。
その軸というのが、哲学であり、美意識である。
具体的にその美意識とはなにか。そしてそれは、どのようにして自分の身に沁み込んでくるのか。
2017年に出版された『美意識世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)』は参考になる箇所がたくさんあったので、何回かに分けてメモとして残しておく。
ビジネス界における美意識とは。
なぜ、いま美意識が注目されているのか。ビジネスにおける美意識とはなにか。
これまでの経営学と比較して、序論でわかりやすく解説があるので、ここにも簡素にまとめておく。
これまでの経営学というのは、経営戦略において合理性や効率の良さを追求するものだった。(それが正とされていた!)
しかし、現代では必ずしも論理ではシロクロつけることが難しい、数値化することが困難な問題が多いなかで意思決定をしなくてはならない場面が増えている。
そんな意思決定の場面でリーダーに必要なのが、「美意識」だ。
(この本の中では、「論理・理性」と「直感・感性」という対比で解説がされている。)
論理や理性で解決できない課題に対して、「直感・感性」つまり美意識を活かした方がいい結果になる。だからこそ、いまの時代に美意識あるリーダーが必要とされている。
一方で、直感を信じることは大切だが、論理をないがしろにしていいわけではない。
むしろ、いくつか選択肢があるのであれば、論理や理性を活かす。それでもはっきりとしない問題に対しては、直感を頼りにしようということ。
つまり、意思決定モードを使い分けが必要で、「論理→直感」の順番で使い分ける必要がある。
まさに自分がいまいるソーシャルの領域では、問題の複雑さが解決を困難にしている要因の一つになっている。
複数のステークホルダーが絡まるように存在し、むしろいくつかの課題が混じり合っていることも多い。そのなかで、本質的な解決につながる糸口を見つけることは難しい。
ひとつの課題に対して、大抵の場合、複数の立場から複数のアプローチが考えられるのが社会課題である。(立場によっては課題の見え方、捉え方も大きく異なる。)
最後に
そういう意味では、美意識あるの経営者、リーダーが最も求められている領域でもある。合理的に考えるだけではなく、中長期的に、解決策を導き出せる存在。
課題の本質を見抜き、ひと串刺せる存在が求められている。
決して、理性や論理だけでは意思決定できない社会や領域にいる人たちにとって、自分の中の美意識を育むことはすごい大事なことに感じる。
ありがとうございました!
ほりごめのTwitterはこちら。
地域の課題に、自分がGiveできることからはじめる。
こんにちは、ほりごめ(@hiroyuki_ho)です。
小田原で行われている創業スクールの初回を受講してきました。
テーマは「ローカル起業のポテンシャル」。講師は入川ひでとさん。
WIRED CAFEをはじめ、数多くのカフェをプロデュース。TSUTAYA TOKYO ROPPONGの店舗プロデュースなども手がけられている。
講義は、事例をもとに入川さんかどのようにカフェづくりをしてきたのかを紹介。地域で起業するとはどういうことか、というのがすごくわかりやすく伝わってきた。
地域の課題に寄り添っているかどうか
本題にはいる前に、入川さんのカフェづくりのお話がすごい面白かったので簡単に紹介したい。
街におけるカフェの役割とはなんだろう?そんな問いに答える形で示されたカフェの定義は「まちの文化、情報発信や活性化に大きく寄与」だった。
パリにおけるカフェは、単にコーヒーを飲む場所ではなく作家や画家が勝手に自分の作品の素晴らしさをピッチアピールする場になっていたそう。
カフェに必要なのは、サードプレイスとしていつでも誰とでもつながることができ、多様な使い方がゆるされるアクセサビリティ。誰もが気軽にコミュニティにアクセス場所であるということ。
地域の起業も視点は同じ。
重要なのは「地域の課題はなにか」という発想からスタートするというところ。
自分のやりたいブランドや提供したい商品を優先するのではなく、その街全体を見通して、まちの文化や活性化を最優先している点だ。
地域での起業においては、その事業がほんとに地域の課題に寄り添っているのかどうかがポイント。そうでないと、街から応援されない。
優先順位としては、自分のやりたいことをやるよりも、地域の課題に寄り添っているか。隣に住んでいるひとを幸せにできているかのほうが大事ということ。
地域にある課題に対して、自分がGiveできることからはじめる。
では、具体的にどのように街に寄り添うプランを立てるのか。
入川さんがカフェをつくるとき、都市づくりプランを調べて地域を観察するところから始めるという。具体的には、〈街・店・人〉がいまどういう現状で、どんなスタイルで、今後の動向や方向性はどうなっているかを調べる。それをもとにコンセプトをつくっているんだそう。
どんな街で、どんな人がいて、どんな暮らしをしているか。
まちづくりは、 「マーケットシェア」から「カスタマーシェア」。「スケール」から「スタイル」へ。自分のカフェがそこになくてはならない理由をつくることがポイントになる。
自分のやりたいことを一旦よこにおいて、「誰に、なにを売りたいか」を考える。
多くの人が手段に執着して、多くの時間とコストを費やしてしまいがちだが、それは目的ではない。
まずは、地域にある課題に対して自分ができることからはじめるのが地域における起業。
最後に
あたり前のようだけど、地域への興味がなくなったら意味がない。地域で起業するということは、地域の課題に寄り添うこと。まずは、自分のもっているもの、スキルを街へ与える精神が大事ということ。
自分のカフェでどんなメニューを出すか、こだわりのフードを出すよりも、地域で暮らしているひとがどのような場を求めているのか。地域でつづけるビジネスを考えるときは、そういった視点が必要不可欠になりそう。
課題と向き合っている方が大事な時代。課題は、ニーズ。みんなが変えたいと願っていること。
まずは、そこに自分がどのように寄与できるのか。与えることからはじまるのが地域での起業。スタート前に重要な視点に気づくことができた。
ありがとうございました!
ほりごめのTwitterはこちら。
「ワークライフバランス」から「ワークアズライフ」の時代。
こんにちは、ほりごめ(@hiroyuki_ho)です。
先週金曜日はmass×massで毎月ひらいているトークイベント「mass×mass Cafe」で、『ビジネスモデル症候群』を出版された和波俊久さんと、通信教育事業を手がけているtanQ株式会社のモリソンこと、森本佑紀さんにお越しいただきました。
今回のテーマは「起業のライフデザイン」。
まずは、それぞれの活動についてご紹介いただいたあと、クロストーク形式でこれからの起業のあり方について深掘っていきました。
マスマスカフェはじまりましたー!
— ほりごめ ひろゆき (@hiroyuki_ho) 2018年10月5日
「ビジネスモデル症候群」の著者で、SB講座でも講師をつとめていただいている和波さん。
ご自身の起業のストーリーから「いい起業家」についてお話いただいています!#massmass_event pic.twitter.com/NlvXE0yZeE
会社が用意してくれた人生を歩めば幸せになれたかもしれない時代。
これまでライフプランを考えるとき、「仕事→自分」というベクトルの向きだった。それは終身雇用、年功序列でその会社に在籍していれば、定年(もしくは定年後)までの人生が安心して描けていた。
しかし、これからは、そのベクトルが逆向きになる時代。
つまり、「自分→仕事」になっている。
会社が幸せな人生を用意してくれているなんてことを考える人はほとんどいない。
自分が考える幸せな状態に仕事を当てはめるようになる。
そういう意味では、イベントでも話していた「働きたくない」という動機で起業した人のストーリーが面白かった。
つまり、「成功」と「幸福」を分離して考えている。
ぼくが4年前に出会った映像作家さんは都内から長野へ引っ越して古民家で暮らしている。
彼は、今年1年間でいくら稼ぎたいかというのを決めている。お仕事の相談がきたときは、工数やその案件にかかる時間を逆算して金額を提示している。
そして趣味の登山をするために時間を確保している。
「会社を大きくすることはいいことか?」
お金があることにこしたことはないかもしれないが、お金がたくさんある状態が幸福だという人は少ないかもしれない。(お金を稼ぐ代償もあるだろう。)
イベントで心に刺さったのは、「会社を大きくすることがほんとに自分の幸福につながるか」という視点。
先の長野の映像作家さんも、自分が自分らしく幸せで暮らすにはいくらあれば充分というのを年初めにきめて仕事を選んでいる。
やみくもにお金を稼ぐために働くのではく、まさに「自分の幸せの状態」に「仕事」を当てはめている。選ぶ基準は、時間であり、金額であり、内容や一緒に関わる人たち。もしくは仕事から得られる自己実現の満足感かもしれない。
これからは自分の幸福な状態に仕事を当てはめる時代なのかもしれない。
そういう意味で、「会社を大きくすることがほんとにいいことなのか」という視点は重要だ。
最後に
数年前にいわれていた「ワークライフバランス」から、いまは「ワークアズライフ」の流れが加速している。
このワークは単なる労働ではなく、自分を幸せにするための手段である。
つまり、お金を稼ぐための手段であり、仕事を通して承認欲求や自己実現するための手段だ。
わかるわかる、と頷きながら、どんな状態の自分が幸福なのかを理解しておくことも大事だなと感じた。
ありがとうございました!
ほりごめのTwitterはこちら。
会いたい人に会いにいくのではなく、会いたいと思われる人になろう/『ブランド人になれ! 会社の奴隷解放宣言』
こんにちは、ほりごめ(@hiroyuki_ho)です。
現在、株式会社ZOZOのコミュニケーションデザイン室長の田端さんの新著『ブランド人になれ! 会社の奴隷解放宣言』(NewsPicks Book)を読みました。
3,4年前から、田端さんのSNSをフォローしていて歯切れのいい発言はわりと楽しみながらみていました。
そして、起業家ではなくサラリーマンと気付いたときは驚いたのを覚えています。
新著は今年読んだ本のなかでも爆速ですすみ、気がついたら最後のページをめくっていました。日頃から田端語録を目にしているので、言葉がはいってきやすかったんだと思います。
いまモヤモヤを感じているひと、殻を打ち破りたいひと、そのためのアクションを模索しているひとにはおすすめの一冊です。
以下、自分がとくに印象に残った箇所をまとめておこうと思います。
「なにを知っているか」よりも「だれに知られているか」が重要
いままで働いたなかで、見落としていた視点だったのですごく印象に残りました。
「どんなスキルを身につけよう」「やりたいことのためにこのスキルが必要だ」という発想まではできる。
しかし、その先にある、知られるというところまで意識がいっていなかった。
事実、スキルが身についても周りからの認識がなければ、プロジェクトへの声はかからない。だからこそ、地道な発信が必要なのだ。
ポイントに感じたのは、できるようになる前から、そのプロセスからオープンにすることで思いもよらない繋がりができたりするのがSNS時代だと思う。
たとえば、映像撮影を勉強しているひと同士で勉強会を開催したり、その延長線にあるのがサロンだったり。もしくは、そんな自分にぴったりのイベントや講座を紹介してもらい、学びが加速することもあるかもしれない。
ある意味で、認知してもらえるまでは価値を生み出していないのかもしれない。
フックアップされるために、本書の中ではこのように書かれている。(P94)
そのプロジェクトが成功したとき、「君の名が誰に知られるか」を意識して仕事をしよう。上司に褒められても仕方がない。特別なあの人の目に留まれ。話はそれからだ。
欲望を嗅ぎ分けろ
人が求めているものを想像すること。言い換えると、周りに興味を持つということ。
いまビジネス界は変化が激しい時代だからこそ、数値には現れない流れの見極める嗅覚が大切。
これについては自分ももっとも意識していることです。
たとえば、いま自分は宿での体験に関心があるんですが、ミレニアム世代はホテルよりも安価なゲストハウスを選ぶ傾向が強いという発表があるときに、「へえ、そうなんだ。まあお金ないからね。」と安易に思考停止しないように心がけています。
ほんとにそうかな?ゲストハウスになにを求めているんだろう?そもそも調査対象はどこで、誰なの?といったように思考の階層を落としていきます。
そして、自分なりの解釈、意見につなげるようにしています。
自分以外の誰かに興味をもつこと。この源泉は好奇心だと思う。
常に好奇心を忘れず、謙虚に目の前の人と向き合いたい。
最後に
さすが田端さんの著書だけあってパワーワードがたくさんありました。
とくにTwitterを活用しろ、息するようにツイートしろというのは、いまから実践していきます。
「へっぽこで使えないペーペーだった時分から、走りながら考え、ズッコケながらなおも走り抜け、いつしかブランド人へと昇り詰めたのだ。」
自分もある種の恥は捨てて、まずは発信するところから始めてみようかと。
著書の中で田端さんのツイログの表が載っていて。
よく見ると1日の平均ツイート数が23.9件、およそ9年間Twitterを利用してつぶやかなかった日数がたったの58日。(本書の中で炎上した際に1ヶ月Twitterを自粛していたことが紹介されてる。)まさに息をするようにツイートしている。
自分も目標1日30ツイートでやってみます。
フォロワーも、まずは目指せ1000人!よし頑張ろう。
ということで、何卒フォローをお願いします!
自分はソーシャル領域のことやまちづくりについてつぶやいていきます!
ありがとうございました!
ほりごめのTwitterはこちら。
映画『きみの鳥はうたえる』を観ました。
こんにちは、ほりごめ(@hiroyuki_ho)です。
映画『きみの鳥はうたえる』を観ました。
ストーリーは函館で一緒のアパートに暮らしている男の子2人組にアルバイトが同じの女の子が加わった3人の話。
小説や映画は描かれている時代の風景や暮らし方、雰囲気を象徴的に映し出していることが多いですよね。
この作品の主人公は自分と同じ世代。
同じ世代の主人公が登場する作品に触れることで、自分たちの世代の暮らしや生き方、観ている風景がどのように表現されているのか、感じとれる。
そんなことも頭の隅に置きつつ、もともと好きだった柄本佑さんと染谷将太さんを観たくて映画館へ行きました。
絶対的な価値観をもっているひとはかっこいい
観ていて印象的だったのが、主人公「僕」の誰かと比べたりしない生き方。
(おそらく)20代も半ば。本屋でアルバイトをして、その日暮らしをしている。とくに目標があったり、将来に向けてなにかをしたりということもない。
それでも周りの大人とも堂々と話をしているところに、なんだかぐっとくるような魅力を感じた。朝、パン屋さんで会話しているシーンもすごい素敵だった。
自分を見つめるときに、どうしても他者と比べがちになる。
今置かれている状況を評価するのに、誰かと比べて相対的に見るしか評価する軸を持たないから。でもそれは、自分の知っている誰かとしか比べることしかできない狭い世界でのこと。他者と比べてしか自身が持てないのは、とても悲しい。
自分のなかにスタイルやモノサシがあるひとは、いちいち他者と比べて落ち込むこともなければ、卑屈になることもない。そういう人はいつだって堂々としていられるし、どんな状況でも楽しんだり、自信を持ってのぞめる姿勢があると思う。
そういうところが、どこか魅力的な主人公だった。
いろいろな時間にジワジワくる
3人で宅飲みをしたり、クラブへいくシーン。ときには2人の時間があったり。いろいろな時間をシェアしている様子が描かれているけど、どれも実体験があってすごいジワるものがあった。(あさ、パンいちで歯みがきしながらコーヒー淹れているシーンはすごいエモい。)
光や明るさ、色味がすごい絶妙で、自分の中にある記憶が蘇ってくる。
朝早くに起きてパン屋で過ごす時間の色や匂いの感覚。クラブ帰りの朝の切なさや虚しさ。
映像を観ていると香りの記憶まで蘇ってくるほどジワジワくる。
他世代が主人公の映画ではない体験ができてとても楽しかった。
最後に
自分も20代半ばになり、同世代が主演の作品や、設定が自分の時間軸と合うものが少しずつ増えてきて、楽しみ方が増えたような気がした。
使われている音楽もすごいよかった!
作品の背景観て、その時代を感じとるというのもなかなか面白い体験。もう少し同じ世代の作品を深掘ってみる。
ありがとうございました!
ほりごめのTwitterはこちら。
レタッチは伝えたい情報を“わかりやすく”届けるためにする
こんにちは、ほりごめ(@hiroyuki_ho)です。
先日、横浜市神奈川区でご自宅をリノベーションして「しぇあひるずヨコハマ」を運営している荒井聖輝さんにお声がけしてもらって、仕事終わりから横浜ナイト撮影ツアーに行ってきました。
(クラウドファンディングFAAVO横浜で荒井さんがプロジェクトを立ち上げたときに担当しました。
参考:横浜の築58年のアパート改修で、多世代交流の「長屋広場」を創りたい!)
久しぶりにあそびで撮ったなあと。好きなことを仕事にするのもいいけど、こういう余白的な時間も大事な気がする。
— ほりごめ ひろゆき (@hiroyuki_ho) 2018年8月22日
最近はこういうピンボケしてるのが好き。暗めも落ち着いてて心地いい。 pic.twitter.com/IjjhnNehz5
写真をアップしたら、「ほりごめくんはいつも写真アップするときにレタッチしてる?」と数名から質問があり。レタッチする、しない議論なつかしいなあと思いつつ、ここにぼくの今の考えを置いておこうと思います。
レタッチは受け手目線で考える
結論から先にいうと、レタッチは必ずやります。
理由は、相手にこちらの伝えたい情報を“わかりやすく”届けるためです。
この一枚で何を伝えるか、どんな印象を与えたいのか、というのは撮影するときから考えていると思います。それイメージしながら構図とか露出とかも考えますよね。
しかし、写真のなかにはいろいろな要素が入ってきてしまうことがよくあります。後ろの方で人が入ってしまったり、不要なものが写っていたり....
しかも、そういうことがやむを得ない状況が多い。
そこで、伝えたいもの(いわゆる被写体)を分かりやすくする、目立たせるためのレタッチ。
もう少し具体的にいうと、「分かりやすくする」というのは、パッと写真みたときに被写体に目がいくようにするということです。そのために他の要素を削っていくために、レタッチをします。
見てもらう受け手に負担をかけない
これだけ情報が多いと記事にしても、SNSのタイムラインにしても早いテンポでスクロールされてしまいます。見た瞬間になんの写真なのかを伝えられるように。
なにを言いたいのか分からない写真は受け手に負担をかけることになります。
そうではなく、こちら感じて欲しい印象をきちんと受け手に届けられるように。写真を通して何を伝えたいのか。一つのコミュニケーションとして、こちらからの一方通行ではなく相手を必ず意識して、レタッチをしていきます。
自己満足ではなく、受け手ありきで考える。
最近、発見したレタッチャーのnoteがすごくためになるし、面白いです。
レタッチャー / 大谷キミト|note
最後に
とはいえ、表現者、アーティストとして写真を撮るときは全く別で。自然のままに残したいとか、こちらが表現したいようにするのが良いと思います。
そういう意味で、先日の写真ではあえて暗く撮ってみたり、ピントをはずしてみたりしました。そういう遊びをしていると表現者としていろいろな発見があったりして、仕事をする上でも参考になることが多くて面白いんですよね。
またカメラ持ってふらっと出かけよう。
ありがとうございました!
ほりごめのTwitterはこちら。
『読書という荒野』を読みました。
こんにちは、ほりごめ(@hiroyuki_ho)です。
ゆっくり読書DAYできたー!#読書という荒野 pic.twitter.com/mkJMBjKjrM
— ほりごめ ひろゆき (@hiroyuki_ho) 2018年7月29日
とても印象的だったのは、読書のノウハウというよりは、これまでの見城さんの編集者・経営者としての生き方を読書体験によってどのように獲得してきたのか、という部分。
この本を読み終わったときに「自分がやれていないことたくさんある!」と思わず感じてしまったくらい、熱量の高い1冊。現状に満足できていないひと、貪欲に次のステップを目指しているひとにとっては、読み終えたあと、気持ちが高まりを抑えられなくなる思います。
「自己検証・自己嫌悪・自己否定」の3つのキーワード
読書はなんのためにするものか。
読書という行為は、自分以外の誰かの世界を覗く体験に似ている。それは思考の軌跡だったり、ストーリーそのものだったり。ある野望や信念を貫き通そうと、主人公の激闘を追体験できることができるのが読書。
そして、それらのストーリーにエンパワーメントされた経験はきっとだれにでもあるはず。そのなかで、見城さんもたくさんの本を読むことで彼らのストーリーに心動かされ、彼らとからたくさんのことを学んだといいます。
これはある意味で、ストーリーに出てくる人たちの魂を自分のなかに埋め込む作業に近いような気がする。
前に読んだ『私とは何か』に書かれている分人主義でいうと、読書も自分の中にそういう分人をつくる行為になる。そして、その分人を意図して発生させる、維持させるために物語の登場人物を自分のなかに置いておく。
→「私とは何か」を読みながらコミュニティについて考える。 - horigome blog
感想こそ人間関係の第一歩
本筋とは少しそれるけど、もう一つ印象に残っているのが、こちら。
感想こそ人間関係の最初の一歩である。(中略)
その感想が、仕事をしている本人も気づいていないことを気づかせたり、次の仕事の示唆となるような刺激を与えたりしなければならない。
この人と仕事がしたい!と思われるためにも、自分なりの感想を届けることが大事なんだなと。しかし、相手に新しい気づきや刺激を与えることはとても難しい。だからこそ、日頃から考えることを怠らず、言葉をひねりだすことを続ける必要がある。
改めて、文字にして伝える大切さと、難しさを感じられた一文だった。
最後に
じつは、本書は最近読んだ本の中で一番付箋が少なかったです。でも読み終わったあとの満足感や読後感はこれまでのなかでもすごくよかった。
見城さんの壮絶な努力の半生をあっという間に読んでしまって、圧倒された。
これからは、自分のなかの怠け者の自分の横に、見城さんを常に置いておこうと思う。
ありがとうございました!
ほりごめのTwitterはこちら。