「私とは何か」を読みながらコミュニティについて考える。

こんにちは、ほりごめ(@hiroyuki_ho)です。

 

いま箕輪編集室が盛り上がってる。こうしたオンラインサロンは興味があって、どういう人たちが、どんなメリットを感じて参加しているのか。なにがモチベーションになっていて、サロンを通してどんなことをしていくのか。

 

少し前から株式会社コルクの佐渡島さんもコミュニティについて言及をされていて、Twitterの投稿を追ったりしていました。
その中でよく紹介されていたのが、平野啓一郎さんの「私とは何か」です。

 

 

いま、まさに自分も「学びの場」を設計していて、どのように進めていき、どうコミュニティを作っていこうか考えているところなので、この1冊を手にしました!第2章まで読み終えたところで、いま感じていることをまとめてみたいと思います。

 

 

相手に合わせて出てくる個性、すべてが「自分自身」である。

これまで最小単位(もうこれ以上分けられない存在)として扱われていた「個人」に対して、“分けられる”複数の自分を「分人」といっています。
そして、「分人」は相手次第でさまざまな「自分」になる。

 

僕の場合は、会社にいるときの自分と、高校の友達と会っているときの自分では、話すスピードや態度(よく笑うとか)が違います。
とくに会社にいるときは、言葉遣いには注意しながら話しますし、時間がないときには早口になったりします。一方、旧友といるときはゆっくり話したり、ギャクとか面白い話とか考えながら話したりします。

 

「分人」とは、どちらも「本当の自分」であるという考え方です。

 

これをさらに、(家族といるときの自分、サークル仲間といる自分、飲み屋にいる自分、、、のように)細分化していくと何人の「分人」が自分の中にいるのだろうと考えてしまいます、、が、それ全てが「本当の自分」ということ。

 

 

コミュニティの共通の目標をたてると参加する人たちは安心する。

第2章でとても興味深かったのは、分人が形成されるまでのステップが言及されているところです。

 

「最初の段階の分人は、『不特定多数の人とのコミュニケーション可能な、凡庸性の高い分人』である。これを社会的な分人。そして次の段階は、さらに狭いカテゴリーに分けられたグループ向けの分人。最終的に生まれるのが特定の相手に向けた分人。」

 

この社会的な分人をすっ飛ばして、コミュニケーションを取ろうとすると、相手は戸惑ってしまう、と。

 

 

この分人が次のステップに進むにつれて、自分の居心地もよくなる気がする。
そういう意味では、イベントや講座に参加したときにアイスブレクをすることで共通点を探したりするのは、とても効果的なことな気がする。

ぼくは、イベントや講座で出会った人たちに自分のことを覚えてもらうにはどうしたらいいか、というのを考えていたことがあり、それはまさに「社会的な分人」から「グループ向けの分人」を相手のなかにつくることであり、「特定の相手に向けた分人」(←これは1日で生まれるものではないが)へなるべく早い段階で進んでもらうための作業だったのかもしれない。

 

コミュニティの話にもどると、コミュニティにある程度の居心地の良さをつくることはマネジメントする側としては大事なことだと思っていて、そのために参加している人たちの共通点を見いだすこと、もしくは共通の目標を立ててあげることは重要なことだと感じた。

 

 

まとめ

 

分人っていう考えかたと、コミュニティについて、続く3章以降を読みながら考えをまとめていきたい。

 

最後に、第2章までで一番共感した一文をおいて、今回の締めにします。

 

「私たちは、尊敬する人の中に、自分のためだけの人格を認めると、うれしくなる。他の人とは違った接し方をしてくれることに甚く感動するものだ。」

 

 

ありがとうございました!