ビジョンを考え抜く力が求められている。

こんにちは、ほりごめ(@hiroyuki_ho)です。

 

いま必要とされている美意識ってなんだろう。
 「美」という字からは、デザインやアート、芸術性というキーワードが連想される。

感性が大切だとか、あまり芸術にふれずに育ってしまった自分にはふわっとした言葉のように感じる。でも考えるうちに、そこまで急いで明確に言語化しなくても、それで焦らなくても良いように感じた。

 

まずは「なんか良いなあ」とか「なんか気持ち悪いなあ」といった感覚も大事にしていきたい。自分のその感覚を敏感に認識できることのほうが大切な気がしている。

 

 

さて、前回に続き、美意識世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)』の気になった箇所のまとめをしたい。
今回は、日本企業における「美意識」を時間軸でながめてみる。

 

 

ビジョンがいらなかった時代

さて、時代を戦後まで戻してみる。あたりは一面が焼け野原。 住む場所も明日の暮らしさえ見えない状態。日本人は土地開発に励む。そして、1日でも早くアメリカに追いつくように経済発展をめざしてがむしゃらに働いた。その結果、世界第2位まで上りつめたわけだが、当時を想像してみると、豊かな暮らしがどうとか、QOLをどう上げようかなんて考えていただろうか。

 

むしろ、アメリカに追いつけ、追いこせで経済を大きくすることだけを考えていたはずである。
そして、目標である経済大国にはなれたものの、バブルがはじけた1990年代に幸福度はそれほど伸びることはなく、次なる目標を見失ったのが日本なのかもしれない。

 

本書でも面白い指摘がある。
ビジョンを「これから向かう場所=where」を視覚的にありありとイメージできるものだとするならば、かつてはそれがアメリカだった。
当時は、自分たちの仕事の意義や何のためにやっているのかなんて考える時間があれば、すこしでも手を動かして目の前の仕事こなし、売り上げをあげるのが正だった。

 

 

しかし、日本もトップランナーとなったいま、私たちもビジョンが必要な時代である。
「世界をどうしたいのか」「日本をどんな国にしたいのか」ミッションやパッションを言葉にできる人材。

 

そして、ビジョンは共感されるものでなくてはならない。

 

最後に

来週、弊スペース(mass×mass)で「relay yokohama vol.01」というイベントが開催されます。

このイベントはこの問いを軸に進められていくようです。

「次の世代にあなたは何を残したいですか?」


ビジョン「これから向かう場所=where」を考えるときに、参考になりそうな問いかけだなあと感じつつ、今日はおしまいにしようかと思います。

 

 

 

ありがとうございました!

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