お金を払うひとがファンだ、ということについて。

こんにちは、ほりごめ(@hiroyuki_ho)です。

 

すこし前ですが、はあちゅうさんのツイートが話題になりました。

 

 

極論、お金を払うひとが真のファンだということ。(お金を払わないひとはファンじゃない。というより払えないなら、違うかたちでいくらでもクリエイターに貢献できるだろうという話。)

 

いろいろな意見があることもわかります。それでも、このツイートを見たときにぼくは肯定的に見ていました。

今回はそのことについて、いち消費者の目線からまとめてみたいと思います。

 

 

消費はいち投票であり、意思表示である

毎日、ぼくたちは食べものに限らず、様々なモノやコト、サービスを消費して生活をしています。(サービスは無料のものも多いけど、)そして、それぞれに対価を払っています。

ぼくの考え方の前提には消費という行為は、ある意味、投票することに似ていると感じています。

 

たとえば、貧困国や中国の工場で労働者が搾取されているというニュースが流れているのを見ると心が痛みます。それに対して、日本に住んでいる一国民の自分としてはできることは、悲しいくらいに小さい。それでも、フェアトレードの服を買うことはできます。

下着からアウターまで全てではなくても、1シーズンに1着はフェアトレードの服を選ぶというのは、一消費者として誰もができる行為であり、それを行なっているブランドへの応援、投票になります。

 

もうひとつ、印象に残っているエントリーがあります。
それは、僕が大好きな作家のひとり水野敬也さんのこちらの記事。

2018年は熱愛報道を見ないことにしました | 水野敬也オフィシャルブログ「ウケる日記」Powered by Ameba

 

不倫のニュースが大きく話題になった2017年。
「どうでもいいよ。」「そっとしとけよ。」「もっとマシなニュースを流せよ。」とどれだけの人が思っていたことか。それでも、不倫のニュースが流れるのは“数字が取れる”からであり、それを見ている我々消費者がいるからです。

(このことについて「僕たちの「美しさ」を求める心が足りていないことにあるかもしれない」と締めている水野さんは本当にすごい。)

 

つまり、消費しないというのも一つの意思表明になるんですよね。

 

 

ぼくはYUIのファンではなかった...

そしてひとつ気づいてしまったことがあります。
皆さんはこれまでの人生でどのアーティストの曲を1番聞いているかという質問に答えられますか?

ぼくは、YUIです。

青春時代、中学、高校時代は登下校はほぼ毎日YUIの曲の入ったプレイリストをiPodで聴いていました。いまでもYUIの曲を聴くと、当時を鮮明に思い出すことができます。

 

ただ、これまでの人生で1度もYUIに対してお金を払っていないのです。

すでにiPodを持っていて、友達のiTunesから曲を入れていた自分は音楽を買うこともなく、ましてやCDも買わず。YUIのライブも部活があって1度も行かず、グッツも買ったことがありません。

つまり、ぼくの青春時代を支えてくれていたYUIのアーティスト活動に対して1円足りとも、ぼくの財布から対価を払っていないのです。これに気づいたとき、すこしショックでしたね。だって、YUIはすでに引退して、もうアーティスト活動を応援することはできないのだから。

 

一方で、絢香のCDは何枚か買っているんです。
絢香についてはシングルCDもベストアルバムも発売日に買いにいきました。

つまり、絢香についてはファンと公言できるけど、YUIについてはファンとは言えないんですよね。

 

どうして絢香のCDを買ったのか。
いま思い出してみると、ちょうど「バセドウ病」の報道があり活動を中止することになるタイミングで、幾ばくかのお小遣いでも応援したいという気持ちからベストアルバムを買ったように思います。

 

 

最後に

お金を払わないひとはファンじゃない!っていうのは強めの表現ですが、納得する部分も多いんですよね。クリエイターに関わらず、サービスを提供しているひとは先行投資をしてリスクを背負っていて、活動するのにお金が必要です。

その活動を応援する、クリエイターと私たち消費者のコミュニケーション手段のひとつがお金なわけで、決して上からでもなく応援したいという思いで気持ちよくお金をだせるようになりたいです。

 

良いものは価格も高いですが、自分にとって良いものってなんだろう?
自分のお金を払うべきもの、応援したものってなんだろうって考えると毎日の消費の仕方も少し変わってくると思います。

 

ありがとうございました!